あの古民家に初めて入ったのは、とある夏の日だった。
僕は友人の拓海と勇太の三人で、いつものように近所の公園で遊んでいたんだ。
そこで拓海が「あの古民家って、お化け屋敷らしいよ」って言い出したんだ。
興味を持った僕らは、その古民家へ探検しに行った。
古びた木造の建物は、まるで廃墟みたいで正直ちょっと怖かった。
でも好奇心の方が勝っちゃったんだよね。
中に入ってみると、埃っぽくて薄暗い。
窓から差し込む光も少なく、静かでちょっと不気味な雰囲気だった。
「うわ、なんか怖いな」
ガラクタに埋もれたような部屋が続く。
その一番奥の部屋だけは、
ほとんどゴミも、家具さえも置かれていなかった。
その部屋の中央に、朱色の布を被せられた何かが置かれていた。
勇太がそっと、布をめくる。
古い鏡が、姿を現した。
「うあ、なんだ、この鏡」
勇太が、そう言って鏡に近づこうとした時、
拓海が慌てて彼を止めたんだ。
「やめろよ! 昔、この家に住んでた人が、
この鏡に閉じ込められたって噂があるんだぞ!」
拓海は、真顔でそう言った。
「マジ!? 怖いじゃん」
勇太は急に怖くなったみたいで、鏡から離れた。
僕はその鏡を見て、なんか妙な感覚を覚えたんだ。
鏡に映る自分の顔が、いつもと違う。
少し歪んでいて、ゆらゆらしてて、なんか不気味に見えたんだ。
まるで、自分じゃないみたいだった。
「なんか、気持ち悪いな…」
そう呟くと、拓海が僕に言ったんだ。
「お前、なんか変な顔してたぞ」
「そう? 気にしてなかった」
僕は、いつものように笑ってごまかしたけど、
内心、少し不安だった。
その日はそれっきり、何も起こらずに古民家を後にした。
僕はずっと、鏡に映る自分の顔を見つめてしまうようになっていた。
鏡の中で見た、あの少年の顔が忘れられなかった。
★
次の日、勇太が学校を休んだ。
「勇太、どうしたんですか? 」
心配した拓海が、勇太の家に電話をかけたらしい。
すると勇太の母親が、夕食のとき突然倒れて、
そのまま病院に運ばれたと教えてくれた。
僕らは不安になった。
勇太は、あの古民家で鏡に近づいた時、
何かに祟られたんじゃないか。
僕と拓海は、放課後に勇太の病院へ駆けつけた。
勇太は、意識不明の重体だった。
僕は、管だらけになって眠っている勇太の顔を見て、
不安でいっぱいになった。
そして勇太の病室で、僕たちは信じられない光景を目にした。
意識のないはずの勇太の目が、一瞬開いたんだ。
その目は、白目が無く真っ黒だった。
まるで地面に開いた、どこまでも続く穴のようだった。
★
勇太は意識を取り戻すことなく、
そのまま亡くなってしまった。
勇太の死は、僕たちに大きな衝撃を与えた。
古民家の鏡のせいなのか?
それとも、単なる偶然なのか?
拓海は、あれから塞ぎ込んでしまって、
あまり学校に来なくなってしまった。
僕は、拓海に宿題のプリントを届けたあと、
また古民家に再び足を運んだ。
勇太を救えなかった悔しさ。
そして、鏡に映った自分の姿への恐怖。
その恐怖に立ち向かうためには、
あの鏡の真実を知るしかないと思ったんだ。
荒れた古民家の中にひとりで入る。
問題の鏡に向かう途中で、古い日記を見つけた。
日記には、かつてこの古民家に住んでいた一家が、
鏡の中に閉じ込められたという恐ろしい物語が書かれていた。
鏡に映る少年は、その一家の子どもだった。
そして彼は、鏡に封印された存在、いつきと名乗っていた。
いつきは、鏡の中に閉じ込められたまま、
助けを求めているようだった。
僕は、いつきを救いたいと思った。
でも、どうやって?
その晩、僕は悪夢を見た。
鏡に近づけば近づくほど、鏡の中のいつきが、僕に近づいてくるという悪夢だった。
いつきが伸ばした両腕が、僕の体を包み込む。
いつかは僕自身も、鏡に閉じ込められてしまうんじゃないか。
そんなことばかり考えるようになってしまった。
★
その頃、学校に新しい転校生が来た。
神崎 遥。
彼は僕より少し背が高くて、都会的で、落ち着いた雰囲気の少年だった。
僕の心は、遥に釘付けになってしまった。
正直、片思いをしてしまった。
でも、この想いは誰にも言えず、心のなかにそっと潜めていた。
僕たちは、すぐに仲良くなった。
驚いたことに遥は、僕と拓海が古民家を訪れたことを知っていた。
そして、僕に衝撃的な告白をしたんだ。
「あの鏡の中にいる少年は、僕なんだ」
★
「え…? 」
僕は、驚きを隠せなかった。
遥は、鏡の中にいる少年が、自分の魂だと説明してくれた。
そして僕に、鏡に閉じ込められた理由を語り始めた。
それは、遥の過去に隠された、恐ろしい秘密だった。
遥はかつて、この古民家に住んでいた一家の子孫だと明かした。
彼の家族は昔、鏡の封印を解こうとしたが、失敗してしまった。
そのときに遥の父親が鏡の中に閉じ込められてしまったらしい。
そして遥は、父親の魂を受け継いでしまったんだ。
彼は父親を救うために、鏡の封印を解かなければならない。
でも同時に、彼は鏡に引き込まれる恐怖に怯えていた。
遥は僕に、力を貸してほしいと頼んだ。
「僕と一緒に、鏡の封印を解いてほしい。父さんを助けたいんだ」
僕は、遥の心の底に触れた気がした。
彼への恋心のせいもあったと思う。
でも彼の切実な願いに心を打たれ、本気で助けようと決意したんだ。
「分かったよ、僕も手伝うよ」
★
そして僕と遥は、古民家へと向かった。
鏡の中にいるいつきは、一体何者なんだろう。
遥の父さんじゃないのか。
そして僕と遥は、いつきを救うことができるのか?
その答えを求めて、僕らは鏡の前に立った。
遥は、鏡に映る自分の姿をじっと見つめていた。
「いつき… 聞こえる…? 」
遥はそう呟くと、鏡に向かって手を伸ばした。
すると鏡から冷気が流れ出し、古民家は急に寒くなった。
そして、鏡に映る遥の姿が歪み始めたんだ。
「うわ…! 」
僕は、恐怖で言葉を失った。
遥の目が、鏡の中にいるいつきと同じように真っ黒になっていく。
「奏太… 助けて… 」
遥はそう呟くと、鏡の中に吸い込まれていった。
僕は、慌てて鏡に手を伸ばしたが、届かない。
「遥…! 」
僕は鏡に向かって叫んだが、返事はなかった。
鏡は、再び静かになった。
★
僕は今、目の前で起こった出来事を思い出し、恐怖に震えた。
遥を救うために、鏡の封印を解かなければならない。
でも鏡の封印を解く方法なんて、さっぱり分からない。
僕は古民家をくまなく調べ、過去の記録や日記を読み漁った。
そして、ついに鏡の封印を解く方法を見つけ出したんだ。
鏡の封印を解くには、鏡に映る自分の魂を捧げなければならない。
それはつまり、自分の残りの寿命を捧げる、ということ。
僕は、遥を救いたい。
僕は鏡の前に立ち、深呼吸をして、目を閉じた。
「遥… 僕を許してくれ… 」
僕はそう呟くと、鏡に映る自分の姿に手を伸ばした。
そして自分の命を少し、鏡に捧げた。
鏡が光り輝き、古民家は激しく揺れた。
そして、鏡から遥の父親が現れた。
★
「遥…! 」
遥の父親は遥の名前を呼びながら、僕に向かって歩み寄ってきた。
彼は、鏡に閉じ込められた間、ずっと遥を心配していた。
そして彼は、鏡に閉じ込められていたことに、深い後悔を感じていた。
「遥を、守れなかった… 」
遥の父親はそう呟くと、煙のように静かに消えていった。
僕は、鏡を見つめながら放心していた。
鏡の中の父親を救うことが出来た。
でも、遥が消えてしまった。
多分、父親の代わりに鏡の中に飲み込まれてしまったんだ。
僕には、愛する遥を助ける術が無い。
すべてが終わった…そう思った。
その時だった。
鏡に映る自分の顔が、再び歪み始めたんだ。
そしてあの少年、いつきの顔が現れた。
「僕を… 置いて… 行かないで… 」
いつきはそう言うと、霧のように消えてしまった。
鏡に閉じ込められた少年・いつきは、まだそこにいた。
遥の父親では無かった。
彼は、まだ救われていない。
僕は再び、鏡に引き寄せられるような感覚を感じた。
しかし僕は、古民家から逃げ出した。
★
その後、僕は高校を卒業したあと古民家の近くに引っ越した。
鏡は、今でも最奥部の部屋に存在している。
遥は、父親の魂を解放したことで、
鏡に縛られる恐怖から解放されたんだと思う。
でも、そのまま鏡に飲み込まれてしまった。
僕は、なるべく時間を作っては古民家に立ち寄り、鏡の前に立つようにした。
遥は、今でもこの鏡の中にいる。
いつか、僕も遥のところに行けるんだろうか。
鏡から突然、いつきの手が伸びてきて、
僕を掴んで、引っ張ってくれないだろうか。
そうしたら、僕は遥と一緒のときを過ごせるのに。