「ブラックウッド精神病院」
廃墟と化したブラックウッド精神病院。そこは狂気と闇が支配する場所。心霊現象を追うユーチューバー、デイビッドとマヤは、その深淵へ足を踏み入れる。そこで彼らを待ち受けていたのは、想像を絶する何かだった。逃げ場のない恐怖。愛する者を奪われた時、男は正気を保てるのか? 闇が迫り、物語が始まる。
★
ブラックウッド精神病院に、
悪夢から引きずり出されたような、
獣じみた叫び声が鳴り響いた。
想像を絶する苦痛を思わせる、
身の毛もよだつ絶叫だった。
デイビッドは震える手で、
ICレコーダーを握り直す。
★
「聞こえた?」
ささやき声でマヤが尋ねる。
デイビッドは、うなずき返すのが精一杯だった。
視線は廊下の奥、影に沈んだ入り口を見つめている。
カビ臭さと腐敗の臭いが混じり合った、
重苦しい空気が、得体の知れない力で
ビリビリと震えているようだった。
「あそこから、聞こえた」
デイビッドはかすれた声で言った。
「隔離病棟からだ」
行くべきではなかった。
2人とも分かっていた。
★
ヘリ空撮風
流れる森、白く四角い建物、
(SUPER8風・静止画)
ブラックウッド精神病院は、
1世紀にわたる苦しみを今に伝える、
朽ち果てた記念碑のような場所だった。
洗脳、暴力、感染拡大、そして閉鎖。
オカルトマニアの間で囁かれる噂は、
あまりにも恐ろしかった。
それでも、彼らはYouTubeで活動を続ける
ゴーストハンターだった。
闇の世界に足を踏み入れ、囁きや影を追いかける。
未知の証拠を探すことで、
ネット上での存在価値を築いてきたのだ。
★
「ちょっとだけ覗いてみる?」
マヤが言った。
その声には興奮と不安が入り混じっていた。
彼女はカメラを調整した。
赤いランプが、
彼女の顔に不気味な光を投げかけている。
★
デイビッドは一瞬ためらった。
恐怖と未知への抗いたい魅力との間で、
心が揺れていた。
この場所、何かが違う。
まるで、目に見えない存在が
ふたりの行動を監視しているかのようだった。
「5分だけだ」
彼はついに折れた。
拭い去れない不吉な予感が、
彼の胃袋を締め付ける。
「それからすぐにここを出る。例外はなしだ」
★
彼らは重苦しい暗闇の中を、慎重に進んでいった。
懐中電灯の光が、薄汚れた壁、
剥がれ落ちたペンキを断片的に照らし出していく。
空気は冷たく、重苦しくなっていった。
まるで、地の底のようだった。
正気を失った世界のさらに奥底へと降りていった。
蝶番が壊れかかったドアが、
今にも崩れ落ちそうなほど傾いている。
最後の病室で、
彼らは「それ」を見つけた。
★
あたり一帯を包む暗闇よりも
深い黒に染まった人影が、
部屋の隅にうずくまっている。
彼らが近づいていく間も、
「それ」は微動だにしなかった。
静寂の中、二人の足音だけが響いていた。
★
「こんにちは」
マヤが小声で呼びかけた。
わずかに声が震えている。
「あなたは誰ですか」
人影がぴくりと動いた。
その瞬間、すべてが変わった。
★
デイビッドは後ずさり、瓦礫だらけの床を蹴飛ばした。
息が詰まりそうだ。
マヤの美しい顔だった場所に、今は異形の化物が鎮座していた。
それは、気の狂った操り人形師に
操られるようにぎこちなく、
不自然な動きで彼に近づいてくる。
★
ドアまでたどり着かなければ。
廊下の奥にある、あの古くて重いドアまで。
あそこをくぐれば、病院の出口に続くロビーに戻れるはずだ。
蜘蛛の糸のように細い希望の光が、
彼の胸にちらついた。
そこまでたどり着くことができれば、
あの化け物から
逃げ切れる可能性があるはずだ。
★
彼はよろめきながら立ち上がった。
足は震え、
心臓は肋骨を打ち破らんばかりに激しく鼓動している。
呼吸は浅く、錆と恐怖の味がする、
生ぬるい空気を、必死に吸い込もうとする。
「マヤ、お願いだ」
彼は必死に呼びかけた。
その声は、絶望に染まっている。
「僕だよ、デイビッドだ。覚えてるだろう?」
★
かつてマヤだったものは、首を傾げた。
それは、彼女のいつもの仕草を歪めたような動きだった。
その虚ろな黒い瞳は、彼を射抜くように見つめ、
彼の姿ではなく、鏡に映った化け物でも見るように、
別の何かを見ているようだった。
★
「私たちは、選ばれたの」
それはしわがれた声で言った。
マヤの声の、残骸だった。
「やっぱり真実は、
語られなければならない」
★
それは再び突進してきた。
その速さに、デイビッドは肝を冷やした。
間一髪、横に飛びのいて化け物の爪をかわす。
あと一瞬遅かったら、
彼の頭が吹き飛ばされていたところだ。
彼は後退り、アドレナリンが力を与えてくれた。
だが、化け物は容赦なく追撃してくる。
それは不自然なほどの敏捷性で動き、
手足はあり得ない角度にねじ曲がっている。
★
デイビッドの手が、冷たく硬い何かに触れた。
懐中電灯だ。
彼はスイッチを入れた。
光が闇を切り裂き、
化け物は目をくらませたように後ずさる。
影のある姿が、光の端でちらついていた。
希望の光は、か弱いながらも再び強まった。
光は奴にとって有害らしい。
たとえ、どんなに心もとない武器でも、
彼は暗闇に立ち向かう術を得たのだ。
★
「来ないでくれ!」
彼は叫んだ。恐怖と反抗心が入り混じった声だった。
無駄な抵抗だと分かっている。
この悪夢から逃げ切れるはずがないことも。
だが、もしかしたら。
ほんの少しの間だけ、
持ちこたえることができれば。
★
化け物は一瞬ためらい、
黒く、魂のない目が細くなった。
デイビッドには、
その奥底に、何かがちらりと見えた気がした。
しかし病院の基礎を揺るがすような、
獣じみた咆哮とともに、化け物は突進してきた。
デイビッドは後ずさり、壁に手をついた。
彼の懐中電灯の光は、圧倒的な闇の中で頼りなく揺れ動き、
生き物のようにうごめく、グロテスクな影を描き出していた。
★
化け物の姿が見えない。
だが、聞こえる。
じめじめした何かが床の上を引きずるような、
巨大な虫が、折れた翅を引きずっているような、
そんな音が聞こえる。
それは、刻一刻と近づいてくる。
背中が壁にぶつかる。
ひびが入った肋骨に痛みが走る。
もう逃げ場はない。隠れ家もない。
「マヤ?」
彼は絞り出すようにして言った。
彼の懇願は、冷たい沈黙に吸い込まれ、
自分の荒い息だけが耳に残った。
そして彼は見た。
かつてマヤだったもの。
グロテスクな化け物が、彼の前に立っていた。
★
かつて輝いていた彼女の顔は、
血と骨の仮面と化し、
目は生気のない二つの黒い穴になっている。
「隠された真実は、今ここにある」
彼女はしわがれた、喉をつまらせたような声で言った。
彼女が一歩近づく。
異様に長い右手が、彼を掴もうとするかのように伸びてきた。
「そして、これは、これが、
私たちの、役目なの」
彼女の口から、低い唸り声が聞こえてきた。
デイビッドは目を力いっぱい閉じた。
汚れた顔に、熱い涙が流れ落ちる。
彼は叫びたかった。懇願したかった。命乞いをしたかった。
だが彼の口から漏れたのは、かすれた、
途切れ途切れの声だけだった。
このブラックウッド精神病院を支配する、
息苦しい暗闇に、その声は吸い込まれていく。
彼は、冷たく湿った手が、自分の手首を掴むのを感じた。
その握力は驚くほど強かった。
目を開けると、眼前にマヤのグロテスクな笑みが広がり、
ギザギザの血まみれの歯が覗いていた。
★
「心配しないで、デイビッド」
彼女は恐ろしくしわがれた声で囁いた。
「あなたも、選ばれたの」
そして、彼が想像もしなかった怪力で、
彼女は彼を闇の中へと引きずり込んでいった。
彼の悲鳴が、病院内にこだました。