【ホラーストーリー】夢と楽園 / 猿夢【ChatGPT】

猿夢タイトル

★序

 

私は、夢を見ていた。

乗った覚えのない電車、その中に私はいる。

車内に不気味なアナウンスが響き渡った。

 

「次は、ひき肉、ひき肉」

 

男性の低く無感情な声が車内に広がる。

嫌な想像が頭をよぎった。

何者かが人を殺している。

これは殺人列車で、きっと自分も殺される。

 

「これは夢だ、覚めろ、覚めろ」

心の中で必死に叫ぶが、いつものように夢から覚めることはできない。

冷や汗が額を伝い、全身が震える。

 

車両の扉が重々しい音を立ててゆっくり開く。暗闇から四人の小人が入ってきた。

大人の半分ほどの身長で、白い服に白い覆面。無言のままぎこちなく台車を押してこちらに近づいてくる。その台車の上には、ひき肉を作る機械が不気味に置いてあった。

 

「早く、目を覚まさないと…」

心臓が早鐘のように打ち鳴り全身が硬直する。

小人たちがどんどん近づき、自分のすぐ隣で足を止めた。

手には四角くトゲだらけの汚れたハンマーが握られていた。

ハンマーが、振り上げられる。

 

★忘れられぬ男の影

 

一二月の早朝。

鋭い寒風が首元から入り込み、容赦なく体温を奪い去っていく。

空は重苦しい灰色で、今にも雪が降り出しそうだった。

 

ここは自宅から数駅離れた住宅街の無人駅。駅舎の古びた木の柱や、剥がれかけたペンキが過去の記憶を呼び覚ます。 冷たい風が身にしみる。

 

私は、先週別れた男が住む町の駅前に立っていた。

別に未練があったわけじゃない。よりを戻したいわけじゃない。

ただ、心のどこかが引っかかっていて、前に進めないのが嫌だった。

あの時、なぜあんなことを言ってしまったのか、その答えを探しに来たのかもしれない。

 

新聞配達のスーパーカブが、軽いエンジン音を響かせる。

早朝特有の静けさ、そして慌ただしさが交錯する。

寂れた駅周辺を30分ほどかけて一周する。

 

「何やってんだろ、私」

 

錆びたシャッターや閉店した店の並びを眺めながら、急に自分の行動が馬鹿らしく思えてきた。

早く帰って、温かい珈琲でも飲もう。そう思って駅に戻る。

無人の改札をくぐると、どこか違和感を感じた。

 

駅ホームのベンチに座り、帰りの電車を待つ。

早朝の無人駅、周りには誰もいなかった。風が吹くたびに、古びた看板が軋む音が響く。

 寒いので駅舎内に移動しようかと迷っていたとき、電車到着のアナウンスが聞こえた。

 「まもなく、電車が来ます」

 無人駅なのにおかしいなと思ったその瞬間、急に目の前が真っ暗になり意識を失った。

 

★殺人電車

 

ひとつ、ふたつ。

何度も何度も、窓の外を紫色の明かりが通り過ぎていく。

踏切を通過した音がした。

 

気がつくと、私は電車の中に立っていた。

見回すと壁や窓枠、扉がすべて木製で、対面式の4人掛けの座席が並んでいる。随分と古い電車だった。

なぜここにいるのか、記憶が曖昧だ。一瞬だけ窓が明るく照らされ、また踏切を通過した音が聞こえた。

窓の向こうは暗く、果てしなく田んぼが続いていく。遥か遠くを、静かに街灯の明かりが流れていった。

 

車両内部に視線を戻す。五人の人影が見えた。

男性が三名、女性が二名。年齢も格好もバラバラで、それぞれが距離を置いて座っている。

一人は中年のスーツ姿の男、もう一人は古ぼけた服を着た老人、最後の男性は顔を隠すようにフードを被っていた。

女性の一人は若い女性で、もう一人は白髪の老婆だった。

 

誰もがうつむき、じっとしていた。誰も動かず静かな車内にただ座っている。

多分これは夢なんだろう。不思議な夢だな、そう考えた。

 

もし夢なら目覚めるのは簡単だ。私は自分が夢をみていると自覚している時に限って、自由に夢から覚める事が出来た。とりあえず近くの座席に腰を下ろす。

 

突然、悲鳴が聞こえた。男のひとの声だった。驚いて悲鳴がした方向に視線を向ける。

車両先頭付近に座っていた年配の男性が通路に倒れている。その体の周りには赤黒い染みが広がっていた。

 

どうしよう。狼狽えていると唐突にアナウンスが流れた。

「次は、活き造り、活き造り」

その直後、また悲鳴が聞こえた。

今度は女性の金切り声だった。耳を塞ぎたくなるほどの絶叫。声の調子は一定ではなく、高くなったり低くなったりしていた。

 

何か、されているんだ。あまりに恐ろしく、手足が震えて力が入らない。間違いない、車内で何かが起こっている。

しばらく沈黙が流れる・・・。なんだろう、活き造りって。とても次に停まる駅名とは思えない。嫌な想像が、頭をよぎった。

 

唐突に車両の扉が開き、車内販売員の女性が入ってきた。紺色の制服、首には黄色いスカーフを巻いている。女性は何事もなかったようにワゴンを押しながら、ゆっくりこちらに向かって歩いてきた。私は助けを求めようと声をかけかけたが、止めた。

 

女性の制服は黒く汚れ、焦げ茶色の染みがあちこちに広がっていた。よく見るとスカーフも黒ずんで、縮んでいる。モノクロの映像を見ているように顔は真っ白で、首元から口元にかけて血管がびっしりと浮いていた。張り付いたような笑顔、目は見開き、縮瞳している。

 

そんな女性が、ゆっくりこちらに向かって歩いてくる。押しているワゴンには、灰色の汚いバケツがいくつも載せられていた。バケツの中には、よくわからない肉のようなものが入っているのが一瞬見え、思わず目を背けた。蝿の飛ぶ音がかすかに聞こえる。

 

笑顔の女性はゆっくりと隣を通り過ぎていった。それから扉が開く音がして女性は車両から出ていった。

その時、再びアナウンスが流れる。

 

「次は、ひき肉、ひき肉」

 

嫌な予感は、きっと当たるだろう。何者かが人を殺している。

これは殺人列車だ。きっと次は自分が殺されるのだ。

 

「これは夢だ。覚めろ、覚めろ」。

必死になって強く念じる。普段ならすぐに目が覚めるが、今回はその気配がまったくない。夢から覚めるどころか、これが本当に夢なのか不安になってくる。

 

突然、ガラガラと音がして、車両の前方の扉が開いた。今度は一人の男性が入ってきた。

車掌服を着て、なぜか猿の面をかぶっている。不気味な木製の猿の面で、被っている人の口元が露出している形をしていた。白い手袋をした手には、アナウンス用のマイクが握られていた。

 

また車両の扉が再び開く。猿の車掌のあとを追うように、銀色の台車が入ってきた。

 

台車には古い肉ミンチ機が乗っている。上の穴から肉を入れ、挽いた肉が前の穴からにょろにょろと出てくる機械だ。それを四人の小人たちが押していた。

 

大人の半分くらいの身長で、ボロ切れのように汚れた白い服を着ている、白い覆面をかぶった、全身白ずくめの小人たちだった。何も喋らず手分けして台車を押し、私のところに近づいてきた。

 

台車の上の肉ミンチ機の電源が入る。嫌な音を出し、小刻みに震える機械は一目で汚いと分かる。過去に挽いた肉片が掃除されず、あちこちにこびりついていた。

 

小人の一人の手には、肉を叩くためのハンマーが握られていた。銀色で四角く、トゲだらけのやつだ。かなり汚れていて、何かの肉片がトゲの間にこびりついていた。

 

それらが私に向かって、どんどん近づいてくる。早く目を覚まさなければ。

覚めろ、覚めろ、覚めろ、覚めろ。

 

肉ミンチ機の音がどんどん大きくなってくる。小人がハンマーを引きずる音。

覚めろ、覚めろ、覚めろ、覚めろ。

 

小人が私の膝に手を触れた。その膝をめがけて、大きく重いハンマーを振り上げた。

 

★寂しい家族

 

突然、静寂が訪れた。

あたりが明るくなり、目の前には板張りの天井が広がっていた。

見慣れた空間、使い慣れた布団。私は自分の部屋で目を覚ました。

 

あまりに夢の余韻が強烈すぎて、しばらく動くことができなかった。

自分は死ぬはずだった。

 

なかなか息が整わず、夢の記憶がどんどんちぎれ溶けていく。

ようやく息が整いベッドから這い出た。

 

消えゆく記憶を手繰り寄せる。

白ずくめの小人たち、振り上げられたハンマー。そして猿の面を被った男。

 

時計を見ると朝四時前だった。もうじき夜明けだけど、まだ起きる時間でもない。

また眠る気にもなれず、布団の中で体験したばかりの恐ろしい夢の記憶を反芻していた。

 

朝になり日が昇ると、部屋から出て階段を降りた。

洗面台の鏡には、いつも通りの見慣れた自分がいる。

安心して寝ぐせを直し、顔を洗った。

 

私は女としては背が高く髪も短いので、よく男に間違われた。

飾り気のないグレーのTシャツにショーツ姿、寝ぐせ頭に歯ブラシを咥えている。

こんな格好じゃ無理もないなと納得する。

 

廊下に出ると庭のサザンカが見えた。

小さかった頃、父さんに無理を言って植えてもらったものだ。

海辺に建ち風の強いこの家ではサザンカは育たない、

父さんにすぐ枯れると止められたが、小さかった私は泣いて頼んだ。

大事にしている、父さんとの思い出の花だった。

 

優しかった父さんは、半年前に病気で亡くなった。

静かになった我が家は、あの日から寂しさに包まれている。

母さんはそれ以来ずっと塞ぎ込んでいた。

 

母さんに、おはようと声をかける。

少し遅れて、ああ、おはようと返ってきた。

台所に続く暖簾の向こうで、母さんの影だけが揺れていた。

 

そういえば、こんなことがあった。

一昨日、母さんが庭のサザンカを切りたいと言ってきた。

近所の主婦友達に、庭に植えているのはツバキだ、縁起が悪いので切ったほうが良いと言われたらしい。

私は、「ツバキじゃなくてサザンカだから」と、そして「これは父さんとの思い出の花だから」と反対したが、母さんは納得していないようだった。

母さんも辛いんだと思う。あのサザンカを見るたびに、父さんのことを思い出してしまうのだろう。

 

居間のテーブルには、冷えたシチューが鍋のままぽつんと置かれていた。

多分、これが朝ご飯なのだろう。

胃もたれを覚悟しながら、無理してスプーンを口に運ぶ。シチューの冷たさが一層、家の寂しさを感じさせた。

 

そろそろ家を出る時間だ。荷物を取りに一旦自室に戻ると、部屋の本棚にたくさんのホラー小説やミステリー小説が並んでいる。

「もっと女の子らしい本を読みなさい」

元気だった頃の母によく笑われたものだった。その声が今も耳に残っている。

 

お小遣いで買い揃えたハードカバーの本たちに挟まれて、使い込まれた赤い手帳が置いてあった。

高校に入学した頃に買った手帳だ。二年の夏に初めてできた男との思い出が綴られている。写真もたくさん貼り付けてある。その男とは先週別れた。

 

あの浮気者、もう思い出したくもない。この手帳は何度もゴミ箱に入れては拾い上げている。

心のどこかにひっかかっている。

別に、よりを戻したいわけではない。

ただ気持ちに踏ん切りをつけないと、先に進めない気がしていた。

 

★高校の友人

 

高校の朝、ホームルーム前。

通学カバンを机の横にかけ一息ついてから、隣の席で欠伸をしている友人に声をかけた。

 

「昨日さ、すっごい怖い夢を見てさ」

「え、何それ、教えてよ」

 

眉毛が太く、パグ犬に似た顔立ちの背の低い彼女は、クラスで一番仲の良い友人だった。彼女は興味津々な表情をこちらに向けている。教室のざわめきが静まり、私たちだけの小さな会話の世界が広がった。

 

わりと真剣に昨日見た悪夢の内容を、覚えている範囲で話してみる。しかし友人は冗談だと思ったのか、怖がるどころかケラケラと笑ってくれた。その笑い声に、滅入っていた気持ちが少し和らいだ。

 

ホームルームが終わり授業が始まると、すぐに睡魔との戦いが始まった。黒板の文字は四角い塊にしか見えないし、先生の話している内容がまったく頭に入らない。まぶたが重く、意識が遠のいていくのを感じる。はやく授業が終わらないかなと腕時計を見てみた。

 

そういえば、今つけている時計に睡眠アプリが入っていたな。恐る恐る、昨晩の睡眠分析を見てみた。

私は眠りが浅いほうなので、普段は浅い睡眠とレム睡眠が多いという分析結果がでる。しかし昨晩の睡眠履歴を確認すると、深い睡眠が睡眠時間のほとんどを占めていた。こんなグラフは今まで見たことがなかった。まるで眠っていたというより、一晩中昏睡していたようなものだった。

 

見たことのない異常さが私の不安を増幅させる。何が原因でこんなに深く眠ってしまったのだろう? 昨晩見た悪夢との関連が気になり始めた。

 

お昼休み。

パンを頬張りながら、また友人と話す。

内容はいつも、最近見たり読んだりした映画や小説の感想や、どこかで読んだオカルト記事の感想なんかが多い。友人は私と同じかそれ以上にミステリーやホラーが好きなので、こういう話を気兼ねなくできるのがありがたかった。

 

「昨日見た映画、めっちゃ怖かったんだけど!」

「え、どんな映画?教えて!」

 

そんな風に、いつも私たちの会話は盛り上がる。笑い声が響く中、パンをかじりながら次から次へと話題が出てくる。いつも、あっという間に昼休みが終わってしまうのが唯一の不満だった。

 

お互いにいくつか話し終わったあとで、友人がふと真顔になる。

「そういや朝に聞いた夢の話でさ、電車の中に猿の仮面を被った男がいたって言ってたじゃん」

「うん。車掌さんの格好をして、小人を従えてた感じだったよ」

「それで思い出したんだけど、日本にさ、猿の仮面と白い服がトレードマークのカルト教団ってあるんだよ」

「そうなんだ、すごい偶然じゃない」

「でさ、そのカルト教団って無差別に人を攫って殺してたって噂があってね。

なんでも、楽園を実現するために沢山の人の魂が必要みたいで、拉致監禁して殺してたんだって」

「その話、どっかのネット記事で見たことあるかも。

たしか、教祖が捕まって獄中死して、その後信者が集団自決したとこだっけ?」

「そうそう、みんな楽園に行っちゃったんじゃない?」

 

普段ネットで、こういう類の記事ばっかり見ているのがバレてしまうな、お互いに。

 

「それでさ、そのカルト教団が集団自決した現場ってさ、県内なんだって」

「ホント? 聞いたことないよ」

「嘘じゃないって。前、A組のグループが肝試し行ったって騒いでいた遊園地跡地、あそこだよ。昔、あの遊園地を運営してたのって、信者が作った会社だったみたい。なんでも、世界が滅んだあとに楽園として住むために作ったのが、あの遊園地なんだってさ」

友人が、にやりと笑う。

 

「今日の夜、二人でその建物を見に行かない?」

「やだよ怖いし、通報されたらどうすんの? そもそも閉鎖されて入れないようになってるよ」

 

「まあ二〇年前の事件だしね、あそこも再開発の噂がでては消えてるみたいで、一生更地のままなんじゃない。それこそ世界が滅びるまで」

「そういや、その教団の名前って何だっけ」

「ああ、たしか…、猿の楽園だったと思う」

 

★資料室

 

数日後、私はとある用件で地元の古いニュースを調べていた。

すると現在は廃墟となっている遊園地が、かつては全国ニュースになるほど話題を集め、毎週末には大勢の人々で賑わっていたことが分かった。

 

その遊園地の一番の目玉は、猿の仮面を被った車掌が運転する「猿電車」。敷地内を縦横無尽に走り回るその電車は、子供たちにとって夢のような乗り物だった。しかし突然遊園地が閉鎖され、猿電車も人々の記憶から徐々に消えていったのだという。

 

その記事に載っていた猿電車が気になったので、週末に図書館に行ってみた。無人だった資料室に入り、カビ臭くパリパリに固まった新聞を慎重に手に取る。

 

古い新聞に掲載されていた、解像度の粗い白黒写真を見た瞬間、反射的に新聞を投げ捨てそうになった。

そこには夢のなかでみた、あの恐ろしい猿の車掌が写っていた。写真に写っている男が、こちらを見つめている。

「なんなの…」

無意識に声が出る。

 

あの夢の記憶が鮮明に蘇る。私は猿電車のことも、遊園地の存在すら知らなかった。なのに何故、あんな夢を見たの?

 

自分以外誰もいない資料室の扉の外では、本を探しにきた人たちが通り過ぎていく。まるで自分が、異世界に迷い込んでしまったような疎外感を感じてしまった。

 

★四年後

 

それから何事もなく、四年が過ぎ去った。

 

友人は高校を卒業後、東京の大学に進学した。理系の学部なので、日々実験に追われる多忙な生活を送っているとのことだ。彼女の充実した日々の話を聞くたびに、自分の生活とのギャップを感じずにはいられない。

 

母さんは、相変わらずふさぎこんでいる。ゴミ出しや近所への簡単な買い出し以外は、一日中家の中にいることが多かった。それでも生活できていたのは、父さんの残してくれた貯金のおかげだった。けして多くは無かったが、親子ふたりが質素な生活を送るには十分な額だった。

 

別れた男は今、どこで何をしているのだろう。一度、浮気相手の顔を見たことがある。自分とは正反対の女。背が低く栗毛のロングヘア、大人しそうな女だった。今頃、二人で楽しく生活しているのだろうか。私もこのままではいけないと思い、新しい相手を見つけようと思うのだが、どうしても踏み出すことができなかった。

 

あの恐ろしい悪夢のことは、今でもたまに思い出す。つんざく悲鳴、気持ち悪い販売員の女、ハンマーを引きずり歩く小人、そして猿の仮面を被った車掌。夢とはいえ、本当に殺されるかと思った。あれから時間が経つにつれ、思い出す回数は減っていったが、まったく忘れ去ることは出来なかった。

 

私は今、新幹線の座席に座り、窓の外を眺めている。

今日はあいにくの曇天で、白黒フィルムのように色褪せた景色が次々と後ろに流れていった。

 

私は高校卒業後に、地元の小さい出版会社に就職した。初めての就職で苦労もしたが、先輩方に支えられ、少しずつ仕事を覚えていった。そして最初の一年をこえようとしていたときだった。突然決まった出張で、どうしても新幹線に乗らなくてはならなくなった。

 

あの悪夢をみてから四年たった今でも電車に乗るのは苦手だ。移動はなるべく車を使い、それができなければバスで移動していた。電車と新幹線との違いはあれど、あの思い出が蘇り、心が挫けそうになる。窓の外を流れる景色を見つめながら、心の中で何度も自分に言い聞かせる。あれはただの夢だ、きっと疲れていたんだと。

 

心臓が少し早く鼓動するのを感じながらも、決心して切符を買った。車内で深呼吸し、過去の恐怖と向き合う覚悟を決める。曇り空の下、白黒の景色が流れる新幹線の窓に映る自分の顔が、無理して笑顔を作っていた。

 

ここは窓際の席なので、体を傾けないと通路が見えない。化け物が通路をゆっくり歩いてきて、こちらにぬっと顔を向ける妄想がよぎったが、頭をふり気持ちを誤魔化した。

 

初めは緊張していたが、何事もなく時間が過ぎると、少しずつ安堵の気持ちが芽生えてきた。

「なんだ、何もないじゃないか。」

心の中でつぶやきながら少し肩の力を抜く。一時間ほど走ると外の景色が急に暗くなり、新幹線はトンネルの中に入った。

 

窓の外を流れていた田園風景が消え、トンネルの暗闇が車内にいる自分の姿を浮かび上がらせる。見慣れてきたスーツ姿の自分。あの頃の自分とは違う、成長したはずだ。

庭のサザンカを思い出す。父さんに植えてもらった思い出の花。庭のすみっこに植木鉢を置いて毎日水をやった。

 

海風に負けずに強く育ってくれたサザンカ。私もこんなに強くなれたらいいのにな。そう思いながら水をやった日のことを思い出す。優しかった父さん、そして母さん。記憶の中の懐かしい声、そして笑顔が、胸に温かく広がる。涙が一雫、頬にたれた。過去の思い出が心に溢れ、今の自分を支えていることを実感する。その瞬間、トンネルを抜けた。

 

新幹線が、猿電車に変わっていた。

 

★ふたたび、猿電車

 

「うあああああ!」

 

一瞬にして、あの記憶が鮮明に蘇った。車内を照らす紫色の明かり。不気味なアナウンスが車内に響き渡る。遠くで聞こえる悲鳴が耳に残る。気味の悪い女性乗務員が近づいてくる。湯気の立つバケツからは溢れ出る肉塊が見えた。白ずくめの小人たちが行き交い、ハンマーを引きずる音が不気味に響く。

 

そして、猿の仮面を被った車掌。彼の目がこちらを見つめる。全身が恐怖で凍りつく。あの悪夢のすべてが一瞬にして蘇った。心臓が激しく鼓動を打つ。息が詰まり、目の前が暗くなる。

 

殺される。今度こそ殺される。本能的に電車の進行方向と逆の車両に逃げようとしたが、腰が抜けて思うように動けない。よろよろと体勢を崩しながら、必死に車両後部の扉を目指す。扉の先には短い通路があって、トイレや外に出られるドアがあるはずだ。しかし扉の先に通路などはなく、今いる車両と同じ光景が広がっていた。

 

誰もいない車両、鳴り響くアナウンス、そして遠くに聞こえる悲鳴。頬を拭うと涙で濡れていた。体に力が入らない。座席の角に掴まりながら、さらに次の車両を目指す。扉を開けるたびに、同じ光景が繰り返される。その次も、その次も、同じ車両が広がった。

 

絶望感が胸を締め付ける。扉をいくらくぐっても、いつまでも同じ車両が続く。心臓の鼓動が速くなり、恐怖が全身を包む。頭の中で、猿の仮面を被った車掌の姿がちらつき、その恐怖が一層強くなる。

 

「何で? 何でこんなことが…」

声にならない叫びが喉の奥で詰まる。

 

「次は、えぐりだし、えぐりだし」

遠くで女の悲鳴が聞こえた。

あの記憶、あのアナウンス、あの悲鳴。殺されていく乗客たちの光景が頭の中で繰り返される。

 

「次は、活き造り、活き造り」

まただ、また始まったんだ。何度目か分からないほど車両を移動し、ついに諦めて扉の前に座り込んだ。涙と鼻水で、顔のメイクはボロボロになっているはずだ。せっかく生き延びたのに、今度こそ自分の番なんだ。

 

息を切らしながら、座り込んだまま震える手で顔を覆う。頭の中では、次々と恐ろしい映像がよみがえる。殺されていく乗客たち、狂気じみたアナウンス、悲鳴の響き。心臓が激しく鼓動し、恐怖が全身を包み込む。

 

「どうして…どうしてこんなことに…」涙が止まらず、嗚咽が漏れる。現実感が薄れ、夢と現実の境界が曖昧になる。

 

自分を守るために、必死に逃げ回ったのに、結局は無力だった。希望が完全に失われ、絶望が胸を締め付ける。手足の力が抜け、立ち上がる気力も残っていない。目の前の扉がぼんやりと見える。何度開けても同じ光景が広がる扉。それでも、もう一度試してみるべきだという考えが頭をよぎるが、体は動かない。

 

これは夢だ。目を覚まさなければ。覚めろ、覚めろ、覚めろ。

 

いくら念じても、夢から覚めることはなかった。そもそも、本当にここは夢の中なのか不安になってくる。響き渡るアナウンス、遠くで聞こえる悲鳴、いつ自分の番になるかと考えると気が狂いそうになる。

 

覚めろ、覚めろ、覚めろ。ヤケクソになって、ペンで左手のひらを刺す。

「うあああああああ」

後先考えず、めちゃくちゃに自分の手を刺した。

 

★帰還

 

気がつくと、私は元の新幹線に乗っていた。周りには数人の乗客が座っており、不安そうな目でこちらを見ている。車内は再び現実の空気に包まれていた。

 

女性の乗務員が、「お客様、大丈夫ですか?」と真剣な顔で聞いてきた。手には携帯電話と救急箱が握られている。息を整え汗を拭う。平静を装いながら、「大丈夫です、ちょっと疲れていて」と答えた。

 

嘘でもなんでもよかった。ただ、この現実に戻れたことが何よりも嬉しかった。乗務員はしばらく心配そうに見つめていたが、私の言葉を信じ頷いた。周りの乗客たちも安心した様子で視線を外す。私は心の中で「本当に良かった」と何度も繰り返していた。

 

目的の駅に着き、ホームの椅子に座り一息つく。突然、左手に激しい痛みが走った。持ち上げると左手がみるみるグローブのように腫れてきた。痛みが激しく指を軽く曲げるのも辛い。

 

急いでタクシーを拾い病院に向かうと、左中手骨の粉砕骨折と診断された。その場でギプスが巻かれ、左手を三角巾で吊るすことになった。さすがにこの姿のまま出張先に行くわけにも行かず、急いで会社に連絡する。

 

電話の向こうで上司が散々心配してくれた。そして出張は中止となった。さらに、この手では仕事ができないとのことで、急遽一ヶ月の休みを頂いた。「出張先には俺が謝っておくから」と言ってくれた上司の言葉がありがたかった。

 

病院を出てタクシーで帰宅すると、家の中は静まり返っていた。ギプスで包まれた左手を見つめながら、これからどう過ごすかを考える。少なくとも一ヶ月は安静にしなければならない。その間に、心も体も休めることができるだろうか。

 

ベッドに横たわり、今日の出来事を振り返る。新幹線での恐怖、痛み、そして上司の温かい言葉。すべてが混ざり合い、頭の中がぐるぐると回る。疲れ果てた体を休めるために、ゆっくりと目を閉じた。

 

★三つの選択

 

深夜に目が覚めた。自分の部屋で寝ていたはずなのに、見覚えのない和室で座布団に座っていた。周囲を襖に囲まれ、部屋自体はお風呂場ほどの大きさ。裸電球が揺れ、影が暴れた。また、おかしな夢を見ているんだろうか。

 

周囲を見渡しながら、何とか冷静さを取り戻そうとする。畳の感触、座布団の硬さ、裸電球の熱気。すべてがリアルすぎて、夢だとは思えない。

「どうしてこんな場所にいるんだ?」という疑問が頭を離れない。

 

目の前に丸い小さなちゃぶ台が置いてあった。

おかしいな。異様な光景に戸惑いながら、散々あたりを見渡したあと視線を前に戻す。

するとちゃぶ台越しに、初老の男性があぐらをかいて座っていた。

 

男性は、白い服を着て猿の面を被っている。顔の周りを茶色に染めてある、木彫りの仮面だった。その猿の面は顔の上半分を覆っていて、口元は露出していた。振り子時計の時を刻む音が部屋を包む。

男性が、ゆっくりと口を開いた。

 

「あなた…、逃げましたね」

 

その言葉で背筋が凍りつく。悪夢の記憶が鮮明に蘇る。

 

古い電車、つんざく悲鳴、

笑う販売員の女、白ずくめの小人たち、

殺されかけて、寸前で目が覚めたこと。

 

「よござんすよ、たまにあることなんで」

低く、良く通る声だった。

 

振り子時計の音が一層大きく響き、心臓の鼓動と重なり合う。部屋の中は静寂に包まれ、その静けさが恐怖を増幅させる。

少し間をおいて、男性が再び口を開く。

 

「ところで、あなたは今まで大切な人が目の前から去られた経験はございませんか?」

その言葉にあいつの影がちらつく。私を捨てた、あの男。

 

猿の面を被った男性の視線が、鋭くこちらを見つめる。彼の言葉が心の奥底をえぐり出すようで、逃げ場のない感情に押しつぶされそうになる。

 

「私共もね、とても大切な人がいたのですが、力及ばず旅立ってしまった。生前、あの方が仰っていたことなんですがね。人が死ぬと、この世界と黄泉の世界との距離が近づくんですよ」

 

男性の言葉に、胸が締め付けられる感覚が広がる。彼の声はどこか哀愁が漂っているが、その奥には狂気が潜んでいるように感じられた。

 

「私共はね、沢山の人を向こうに送って、あの方を取り戻したいと思っているんです。それでね、ちょっとお手伝いをお願いしたい。それで見逃してあげますよ」

 

この男は何を言っているんだろうか。なぜ、私が人殺しの手伝いなんかをしなければならないのか。全く理屈が通らない。混乱と恐怖が胸の中で渦巻く。

男は、自分が被っているのとは別の猿の面を取り出し、静かにちゃぶ台の上に置いた。

 

「これを使えば、あなたも私共と繋がることができます」

男性の声が静かに響く。

 

猿の面を見つめると、その異様な形と茶色に染められた木彫りの質感が脳裏に焼き付く。心臓が激しく鼓動し、冷や汗が額を伝う。言葉が出ず、ただその場に凍りついてしまった。

 

「それとね、あなたに三つの選択を与えます。次のうちどれかを、私共にお譲りください」

 

「ひとつめは、ご家族の命。あなたの場合はお父様はいらっしゃらないからお母様、ということになりますね」

 

「ふたつめは、ご友人の命。学校や職場での同僚、などでも構いません。これは、お互いがお互いの顔と名前を知っている範囲で、とお考えください」

 

「みっつめは、あなたご自身の命。その際にはもう一度乗客として電車に乗っていただくことになります。ご了承ください」

 

物腰穏やかな口調に、心底身震いした。

 

「どれを選ぶかはお任せします。時間は限られていますよ。」振り子時計の音が一層大きく響き、心臓の鼓動と重なり合う。

 

男の視線が鋭く刺さり、時間が刻々と迫る感覚が一層恐怖を煽る。どうすればこの状況から抜け出せるのか、考えがまとまらない。選択を迫られるという現実が、一層心を追い詰めていく。

 

「今すぐお答えしなくても大丈夫です。三日以内にご希望を紙に書いて枕の下に敷いてお眠りください。お答えが無かった場合は、ご自身の命を選択した、と認識いたします」

 

この男は何を言っているんだ。そんな質問選べるわけないじゃないか。

お母さんの笑顔を思い出す。父さんがいなくても、私をここまで育ててくれた。今は弱っていても、いつか元の元気なお母さんに戻ってくれる。

高校でも職場でも仲の良い友達はいた。おしゃべりしたり助けてもらったり、色んな思い出がある。さすがに自分の命と引き換えにとはいかない。

 

誰にも迷惑はかけたくない。悩んだ。こんな決断はできっこない。

でも・・・。

私は決心し、眼の前の猿の面に手を伸ばした。

ボーン、ボーン。

振り子時計の時報の音が、部屋中に鳴り響いた。

 

★殺戮

 

ひとつ、ふたつ。

何度も何度も、窓の外を紫色の明かりが通り過ぎていく。

踏切を通過する音がした。

壁や窓枠、扉がすべて木製。対面式の四人掛けの座席が並んでいる。

私は今、猿の面を被って電車の中にいた。

 

手を見下ろすと、猿の面の冷たい感触が残っている。周囲を見渡すと、異様な光景が広がっている。紫色の明かりが車内を不気味に照らし、木製の内装が異世界のように感じられる。

心臓の鼓動が少しずつ落ち着いてきた。冷静に息を整え、状況を把握しようとする。窓に映る自分は車掌服を着ている。手には白い手袋、そしてマイクを握っていた。覚悟を決め電車の扉を開ける。

 

この猿の面のせいだろうか。やるべきことをこなしているように、淡々と人を殺していった。年配の男性会社員、若い水商売風の女性、大学生風の男女3人組。次々と殺した。

心の中に一瞬、恐怖と罪悪感が湧き上がるが、猿の面が打ち消してくれた。感情が麻痺し、ただ機械のように動いている自分に驚く。猿の面が自分の意志を奪い、冷酷な殺人者へと変えていく。

 

白い小人たちは、指示を出すだけで正確に動き、ターゲットを無情に襲っていった。彼らの無表情な顔が一層恐怖を引き立てる。自分自身がその行為を見守りながらも、何も感じない冷たさに包まれた。

あとに残った残骸は、あの気味の悪い女性乗務員が後ろからぬっと現れ、それをバケツに放り込んで暗闇に消えていった。

 

その間、電車内の被害者たちは誰も逃げ出さず、ただうなだれて自分の番を待っていた。次のターゲットを見定め、白い小人たちに命じる。

新たな犠牲者を処理するたびに、心が少しずつ壊れていくのを感じる。猿の面が、私の人間性を奪い、冷酷な存在へと変えていく。やるべきことをこなし続ける自分に恐ろしいほどに慣れていく。

 

連結された最前列の車両から十人以上を処理したのだろうか、最後部の車両までやってきた。私はもう、何も感じなくなっていた。

 

最後に残った男の顔を私は知っていた。私が高校生活を捧げ、それなのに新しい女をつくり、そのまま逃げていった、身勝手な男がそこにいた。

 

あの三つの選択のとき、本当は私が父さんの元にいってしまおうかと思った。でもできなかった。

母さんを残してとか、そういうんじゃない。ただ、怖かった。

だから手伝った。知らない他人を殺した。

最後にいたのが、あの浮気者

 

おまえが、死ねばいいんだ。

 

私がやる。

小人どもを押しのけて前に出る。肉切り包丁を握りしめた。

 

彼の目が絶望に染まり、恐怖が顔に浮かぶ。震える声で何かを言おうとするが、私には聞こえない。頭の中には、ただ一つの思いしかない。

「お前が死ねばいい。」その言葉が心の中で何度も繰り返される。

 

眼の前に立ち、今から殺すというときに私は猿の面を外した。

見知った顔を見た彼の顔は、安堵と絶望が入り混じった表情をしていた。醜かった。

ためらいも躊躇もなく、やるべきこととしてやり遂げた。死んだ浮気者の顔は青く冷たく、堅い顔をしていた。そのあとは一塊の肉塊だけが残り、雑にバケツに詰められ消えていった。

 

どうしようもなく笑いがこみ上げてきた。窓ガラスには、返り血にまみれ大笑いしている自分の姿が映っている。馬鹿らしい。ひとしきり笑うと満足してしまった。

終わった、これですべて終わったんだ。

 

すべてが終わった後、車内に静寂が戻る。私は深い息を吐き、血まみれの包丁を見つめる。これで本当に良かったのか、心の中で問いかけるが、答えは見つからない。心には空虚だけが残っていた。

 

気がつくと廃墟の中に立っていた。むき出しのコンクリート、カビの臭いが鼻をつく。月明かりが窓から屋内を照らす。ここがあの教団が運営していたという遊園地跡地だろうか。

 

瓦礫を避けながら外に出る。誰もいない忘れられた遊園地。自分の手のひらを見ると、返り血で汚れていた。

「こんな血まみれの楽園なんて、なんの意味があるんだ。馬鹿じゃないか。」

心の中で呟き、しんと静まり返った遊園地から離れる。

 

一時間ほど歩いて家まで帰った。母さんはもう寝ていた。

「ちょっとは心配してよね」と思ったが、起こさないように静かに布団を敷いて眠った。

 

★償い

 

それから一週間後。

猿を手伝った記憶も、あの男を殺した記憶も薄れてきた頃、深夜に目が覚めた。

見覚えがある、あの車両だった。

 

車内は異様な静けさに包まれ、紫色の明かりが薄暗く揺れている。窓の外を流れる影が、不気味に踊っているように見えた。

 

遠くで、無機質なアナウンスが聞こえた。その後に続く、耳をつんざく悲鳴。また、あれが始まった。犠牲者たちが次々と消えていく。少しずつ悲鳴が近づいてくる。

 

心臓が締め付けられるような感覚に襲われ、体が震えた。鳴り響くアナウンス、白い小人たち。そして、その後ろに猿の面を被った車掌が立っていた。

 

猿の車掌はゆっくりと私に歩み寄り、無言でお面を投げ捨てる。そこにいたのは、あいつの新しい彼女だった。彼女の目には冷酷な光が宿っている。

 

「次は、えぐりだし、えぐりだし」。

無表情で、猿の車掌がマイクで話す。彼女の声は冷たく、はっきりとした決意が感じられた。小人たちが、鋭利な道具を手にして近づいてくる。恐怖が全身を包み込み、息が詰まった。

 

私は自分のやったことの償いが迫っていることを感じ、逃れられない運命を受け入れるしかなかった。小人たちの足音が近づくにつれ、自分の犯した罪が頭をよぎる。返り血にまみれた手の感触が再び蘇る。

恐怖と後悔が交錯する中、私はうつむいて静かにその瞬間を待った。