金と遺体

“ 「検死した遺体の中には、多額のおカネを持っていた人がいた。多い人は、現金で2000万円ほど。ある人は有価証券報告書、ある人は土地の権利書も抱え込んでいた。津波が来たときには、これらを持って避難しようと考えて、家の中の1ヵ所に集めておいたのではないか。地震の直後に急いで探し出して身に付けたという感じではなかった」

「宮城県北東部にある牡鹿半島(おじかはんとう)よりも北に位置する気仙沼市南三陸町、女川町などでは、遺体の傷は比較的少なかった。このあたりはリアス式海岸ということもあり、津波の波は高く、その水圧で亡くなった人が多いように思えた」

「一方で、南にある地域では、津波が流れてくる流速で亡くなったと思える人が多かった。田園地帯が多く、波をさえぎるものがなかったために、一段と加速したのではないか。足が切れて無かったり、頭が割れていたり、胸にがれきが刺さったままのものがあった」

「時間が経つと、遺体は腐り、身元がわからなくなる可能性がある。特に血が滞ってうっ血しているところは腐りやすい。顔がわからないと、一段と身元の確認が難しくなる」

 その懸念は、現実のものとなった。遺体を診ると、顔から腐敗が進行しているものがいくつもあった。

 検死で訪れた大槌(おおつち)町では、犬や猫など動物などとの区別が難しい遺体もあった。この町では、津波が押し寄せたときに火災が起きた。

「焼死体の遺体があり、小型犬ぐらいの大きさになっていた。砂利が混ざった炭のようになり、身元や死因はなかなかわからなかった」

 阪神大震災の場合は、ほとんどの遺体はその家の中で見つかった。だが今回は、自宅などからかなり離れたところで発見されることが多い。これが、身元不明者が多い理由の1つと考えられる。

なぜこれほどの尊い命が失われてしまったか 検死医が目の当たりにした“津波遺体”のメッセージ ――高木徹也・杏林大学准教授のケース|「生き証人」が語る真実の記録と教訓〜大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史|ダイヤモンド・オンライン