さようなら、おばあちゃん

自分が、まだ保育園や小学校に行っていた頃、
うちの親が共稼ぎしていたためもあって、
近所の一人暮らしのお婆さんの家に預けられていました。
いわば、育ての親です。
自分は小さかった頃、電車が好きで、
よく駅の中に入れてもらって、電車を見ていたそうです。
そのお婆さんが亡くなりました。
95歳、立派な大往生だと思います。
今、実家に帰省して葬式を終えたところで、これを書いています。

読経中などは、意外と余計なことを考えていました。
お経の内容はどんなだろうとか、曹洞宗なのに祝詞やら真言やら色々混じってるなとか。
祭壇のデザインや、お坊さんの鳴り物が派手すぎるなとか。

ただ、花を置いたりするときなどの、
お顔を何度か前にすると、グッとくるものがありました。
父親とともに葬儀に参加したのですが、
涙を見られるのが恥ずかしく、
極力我慢し、ちょっと無理そうな時はトイレに行ってました。
こういうのは、良くないのかもしないけれど、
涙を見られるのが恥ずかしかったのです。
葬儀中に、何度か親戚、遺族などに話しかけられたのですが、
コミュ症の自分には苦痛でしかなく、
お辞儀をするのが精一杯でした。
なんか、ダメですね。
荼毘に付したときに、一緒に焼いたお金を貰いました。
お守りとして、財布のなかに入れておきたいです。
今はティッシュにくるんでいるけど、
今度、ちゃんとしたお守りの袋に入れてあげよう。
さようなら、おばあちゃん。