監視小屋

f:id:seiuipad:20211007125121j:plain

 

この監視小屋っていう話は、一見、学校の怖い話です。
しかし、その怖い小屋での体験のバックストーリーとして、
学校が歩んできた歴史や、監視小屋の名前の由来などがあり、
趣のある話になっているのではないでしょうか。

ちょっと時間がかかってしまいましたが、なんとか完成しました。
本当は、ショート動画も4つくらい作る予定で、
当時の学校を報道している様子なんかを作るつもりでした。

あと試験的に、最後に次回作の予告も入れています。
次回作は、ちょっと短い話です。
短いんだけど、以前読んだときから、すごく心に残っている話で、
お気に入りでもあるので、動画化してみようと思いました。

では、次の動画でお会いしましょう。
ご視聴、ありがとうございました。

 


www.youtube.com

 

 

監視小屋

 

当時、私の通っていた高校は築120年という
とても古い建物でした

木造の校舎は、何度も改築や増築が繰り返し行われ
校舎の歩んできた長い歴史を感じさせます

 

しかし、長い歴史というだけでは説明のつかない
奇妙な改築も数多く目につきました

 

例えば、今では珍しくなった平屋の校舎であるにも関わらず
どこにも通じていない階段がありました

それは、廊下のどん詰まりの壁際から
何もない天井に向かって伸びています

 

その他にも、開けても壁しかない扉や
ベニヤ板で物々しく目張りされて立ち入れなくなった教室など

目的の分からない、奇妙としか言いようの無い改築が
校舎のいたるところで目にすることができました

 

その中でも、もっとも奇妙だったのが
『監視小屋』でした

 


監視小屋

 


当時、私は高校から
少し離れた場所に住んでいました

そのため、朝早く起きて
電車やバスに毎日揺られて
登校するのが日課です

天候不良などで
帰宅が困難な場合などは
友人の家や先生の社宅に
宿泊させてもらうことが
何度かありました

 

その日は、台風が本土に上陸すると
ニュースで報道されていました

しかし、たまたま泊めてもらえる
あてが無かったため
私は校舎内にある
あの「監視小屋」に一晩
泊まることにしました

 

監視小屋は一見、ただの民家です
八畳一間でトイレも無く
中には粗末な家具が少しだけあり
古い型の電話と
小さな台所がありました

 

正直、ここに泊まろうと思ったのは
怖いもの見たさの好奇心でした
友人も一緒に泊まってくれるということもあり
少しテンションが上がっていたのかもしれません

そんな思いも、すぐ後悔に変わります
ここがなぜ
「監視小屋」と呼ばれているのか
私はその晩、身をもって知ることになったのです

 

その日、小屋には私の他に
友人がひとり、一緒に泊まることになりました

私たちは修学旅行のノリで
はしゃぎながら
夕食をとっていました

 

食事も食べ終わった頃
しだいに外では雨脚が強くなってきたようで
雨の降る音が、部屋の中まで聞こえてきます

不安を打ち消したかったのか
二人で他愛もないことを談笑していると
突然、電話が鳴りました

 

何事かと、びくつきながら電話に出ると
かけてきたのは、用務員のおじさんでした

女子生徒が二人ということもあって
心配してくれたようで
電話をかけてきてくれた、とのことです

 

はしゃぎ過ぎないように
色々と、注意を促されたあと

「あぁ、忘れていたけど
 西側の窓のカーテンは
 必ず閉めて寝なさいね」

と言って電話が切れました

 

そのときは
「はあい」
と生返事で電話を切ったのですが
よくよく考えると、意味が分かりません

学校の裏手には、墓地があります
しかし、その墓地がある方角は西側ではなく
注意を受けた窓からは見えません

「おかしいね」
と話しながら、友人は何の気なしに
そのカーテンを開けました

 

そこには
麻縄で、禍々しく祭られた
古い井戸がありました

 

丁度、コの字型になった校舎と
小屋に阻まれていたせいか
その井戸は、今まで目にする機会の
無かったものでした

普段、通い慣れている学校に
こんなものがあるとは知らず
井戸を見たときは
体に悪寒が走りました

 

一緒にいる友人と
「なんか、気持ち悪いね」
と言いながら
私たちは、一つの布団に
くっつくようにして
眠りについたのです

 

雨が天井を叩く音が
どんどん強くなります
風も強くなってきたようで
小屋が風にあわせて
揺れていました

 

どれくらい眠ったのか・・・
私は、肩口の寒さに身体を震わせて
目を覚ましました

 

ふと見ると、隣で寝ていた
友人の姿がありません

小屋には、トイレが無かったので
教員寮の方に
借りに行ったのかと思いました
しかし、しばらく待ってみましたが
友人が戻ってきません

 

窓から、外の様子を伺ってみましたが
校舎からも教員寮からも
友人が戻ってくる気配はありません

 

「何処行ったんだろう」
不安に駆られながら部屋に戻った私は
本当に何気ない気持ちで
西側の窓のカーテンを開けました

 

雷が鳴り、土砂降りで
強風が吹きすさぶなか
下着姿の友人が
井戸の側にいました

 

大雨のなか、腰の辺りに手をやって
何やらゴソゴソしています

よく見ると
ゴソゴソしていたと思っていたのは
腰に縄を巻きつけていたのだと気づきました

縄の先は
人の頭ほどの大きさの石に
くくりつけてあります
私は声も出ませんでした

 

すると今度は
井戸から、ぬるりと
白い手が伸びてきたのです

手は、ヘビが何かを探るように
うごめくと
やがて、近くの麻縄を掴みます

友人は、深く頭を垂れて項垂れ
何の反応も示しません

縄を掴んだ手は
ずるり、ずるりと
石を手繰り寄せていきます
私は、夢中で叫んだつもりでしたが
声が出ませんでした

 

あぁ
Aちゃんが連れていかれる!!

そう思ったとき
嵐をつんざいて、けたたましく
電話のベルが鳴りました

私はその音と同時に
敷いてあった布団に
尻餅をつきました

 

そのとたんに
金縛りのようだった身体が
ふと軽くなるのを感じます
気がつくと、裸足で外へ飛び出して
井戸の側の友人のところへ
駆け寄りました

土砂降りのなか
放心状態の彼女を
何とか小屋まで運び込みました
どれくらい呼びかけていたでしょう

 

しばらくすると
友人は我に返り、泣き出しました

恐怖から解き放たれた私も
一緒になって、わんわん泣いたあと
とりあえず誰かに助けを求めようと
電話を引っ掴みました

すると、電話がとても軽いことに
気が付きました

よく見ると
受話器ごと掴んだ電話機はガワだけで
電話線が繋がるどころか
中の機械部分が空っぽだったのです
・・・

 

後から聞いた話によると
開校当時、この井戸に身を投げて
自殺を図る生徒が後を絶たなかったそうです

その噂を聞きつけて
深夜、学校に忍び込み、
井戸に身を投げる者まで現れる始末でした

当時、新聞やラジオなどのマスコミは
この学校のことを、呪われた学校と報道しました

当時の校長は、事態の収束を図るため
何度か井戸を埋め立てようと試みます

 

しかし、作業中の事故が多発
関係者が相次いで亡くなるなどの不幸が続き
結局は埋め立てを断念したそうです

苦肉の策で、校舎の改築を重ねて
井戸そのものが人目につかないようにしたそうです
あの校舎の奇妙な改築は
そのような歴史が産んだ結果でした

それでも、何処からとも無く身投げをする人が現れます
まるで、何かに呼ばれるように
それを監視する為に、人を置く小屋が建てられました
これが、監視小屋です

 

しかし、小屋に在駐していた監視役の男性も
数日後、井戸に身投げを図りました
その結果、小屋と井戸が
そのまま放置されることになったのだということです

 

あの夜
「カーテンを開けるな」
と忠告してくれた電話は
いったい、どうやってかかってきたのでしょうか
そして彼は、その監視役の男性その人だったのでしょうか